1984年 デレク・パーフィット
体を読み取って、向こうで組み立て直す。降りてきたのは、あなたか。
転送装置に入ると、体のすべてが読み取られ、火星で原子ひとつ違わず組み立て直される。 もとの体は読み取りのときに壊れる。
火星に降りた人は、あなたの記憶を全部持っていて、家族のことも借金のことも覚えている。本人は、まばたきしただけのつもりでいる。
これはあなたか。それとも、あなたはさっき死んで、そっくりな他人が生まれたのか。
パーフィットは、ここから逃げ道をふさぐ。
装置が故障して、もとの体が壊れなかったとする。 火星にも、地球にも、あなたがいる。地球のあなたは「読み取りの影響で、あと数日で死にます」と告げられる。
火星にいるのが本当にあなたなら、心配は要らないはずだ。 あなたは生きている。
そう思えないなら、あなたは実は「記憶が続けば同じ人」だとは思っていない。 ではあなたを続けているのは何か。ここで多くの人が答えに詰まる。
彼の結論は変わっている。「同じ人かどうか」という問いが、そもそもたいして重要ではない、というものだ。
大事なのは、記憶・性格・意図がどれだけつながっているかであって、それが同じ1人ぶんかどうかは、後から付ける名札に過ぎない。
そう考えると、死ぬのが少し怖くなくなるとパーフィットは書いている。20年後の自分だって、いまの自分とは記憶も性格もかなり違う。つながりは常に濃かったり薄かったりしていて、境目は無い。
毎晩の睡眠
眠っているあいだ、意識は途切れる。朝起きた人は、昨日の人と同じか。 転送装置と違うのは、体が続いていることだけ。
「体が続いていること」を根拠にするなら、テセウスの船の問題に戻ってくる。
データの引っ越し
新しい端末に全部移して、古いほうを初期化する。中身が同じなら「同じ環境」と呼ぶことに、誰も抵抗しない。
人になった途端に抵抗が出るのは、中身以外の何かを勘定に入れているからだ。
20年前の自分
細胞も、記憶も、好みも、かなり入れ替わっている。 それでも同じ人として扱われる。
つながりの濃さで見るなら、転送装置の向こう側と、20年前の自分は、そう遠くない。
持ち帰るとしたら
運賃が安くて時間が10分の1なら、たぶん多くの人が乗る。 哲学の問題は、便利さの前ではよく黙る。
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