古代ギリシャ / プルタルコス
板を1枚ずつ替えていって、全部新しくなった船は、まだ同じ船か。秘伝のタレと同じ問題です。
英雄テセウスの船が、記念に港へ置かれた。木は腐るので、傷んだ板から順に新しい板へ替えていく。何十年か経って、もとの板は1枚も残らなくなった。
これはまだテセウスの船か。ここで多くの人は「同じ船だ」と答える。
そこへ、意地の悪い続きが付く。外した古い板を全部とっておいて、それを組み直してもう1隻作ったら? 材料はすべてオリジナル。並んだ2隻のうち、どちらが本物か。
ものが「同じもの」であり続ける理由は、だいたい3つのどれかで説明される。
材料で見るなら、古い板の1隻が本物。形と役目で見るなら、港に浮かんで船として使われてきたほうが本物。続いてきた歴史で見るなら、1日も途切れず「あの船」と呼ばれ続けたほうが本物になる。
どれも間違っていない。割れるのは、ふだん3つが一致していて、区別する必要が無いからだ。ここでは3つがバラバラになるので、自分がどれを使っていたのかが露わになる。
人の体の細胞も入れ替わる。数年たてば、いまのあなたを作っている材料の多くは、当時のものではない。 それでも「同じ人」とみなされるのは、記憶と関係と名前が途切れずに続いてきたからだ。
つまり私たちは、人についてはすでに「歴史で見る」を採用している。 船だけ材料で判定しようとするから、答えが割れる。
秘伝のタレ
うなぎ屋や串カツ屋の「創業以来つぎ足し」のタレ。継ぎ足しているのだから、100年前の分子はもうほとんど残っていない。 それでも「創業以来のタレ」と呼ぶことに、誰も文句を言わない。
ここでは全員が「続いてきた歴史」で見ている。 同じ人が、船の話になると急に材料で見はじめる。
伊勢神宮の式年遷宮
20年ごとに、社殿を隣の敷地にそっくり建て替える。建物としては新品だが、1300年続いてきたものとして扱われる。
建て替えることそのものが、続けるための方法になっている。材料で見るなら毎回別物、歴史で見るならずっと同じ。
メンバーが全員入れ替わったバンド
結成時のメンバーがひとりも残っていないバンドが、同じ名前で来日する。「あれはもう別のバンドだ」と言う人と、「名前と曲が続いているなら同じだ」と言う人に、きれいに割れる。
会社、スポーツチーム、実家の味。同じ言い争いが、形を変えて何度でも起きる。
持ち帰るとしたら
あなたが「同じだ」と言い張りたいものを1つ思い浮かべてほしい。 その理由が材料でないなら、あなたはもう答えを持っている。
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