なんで取り消し線の定価を見ると、安く感じるの?

その正体は、

アンカリング

係留効果/Anchoring

最初に目に入った数が出発点になって、あとの判断がそこから遠くへ行けない。

線で消された9,800円の横に、3,980円。手に取るのは同じ3,980円の品なのに、消された数があるだけで安く見える。1974年、目の前でルーレットを回して出た数が「国連にアフリカの国は何%あるか」の答えを動かした実験が、この仕組みを確かめました。

確かめた人
エイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマン(1974年、サイエンス誌の論文で)
実験の中身
目の前でルーレットを回し、出た数(例えば10か65)が答えより上か下かを聞いてから、「国連加盟国のうちアフリカの国は何%か」を答えてもらう
名前の由来
2人の論文の言い方。出発点がちがうと答えがそちらへ寄る現象を「アンカリング」と呼ぶ、とだけ書いてある。anchor は船の錨
よく出る場所
取り消し線の定価・「お一人様3点まで」の札・先に出てきた希望年収
揺れている所
商品名の「97」のように、たまたま目に入っただけの数でも効くか。2018年の大きな追試では出なかった

01ルーレットの数が、国連の答えを動かした

トベルスキーとカーネマンは、参加者に「国連加盟国のうち、アフリカの国は何%か」のような、ぱっと答えの出ない割合をいくつも推測してもらいました。ただし、答える前にひと手間あります。目の前で、0から100の数が書かれたルーレットを回す。そして、出た数が答えより上か下かを先に決めてから、その数から上か下へ動かして答えを出してもらう。回して出る数は組ごとにちがえてあり、論文が例に挙げているのは10と65です。

トベルスキーとカーネマンの実験
  1. 1参加者の目の前で、0から100の数が書かれたルーレットを回す。出た数は、問題とは何の関係も無い

  2. 2出る数は組ごとにちがう。ある組には10が、別の組には65が出る

  3. 3「国連加盟国のうち、アフリカの国は何%?」まず、出た数より上か下かを答える。次に、その数から動かして、何%かを答える

  4. 410を見た組の答えの中央値は25%、65を見た組は45%。関係の無い数で、答えが20ポイント動いた

ルーレットの数が答えと関係ないことは、回るところを見ていた本人がいちばん分かっています。それでも、10から出発した人は低いところで、65から出発した人は高いところで止まりました。論文は、正確に答えた人に報酬を出しても、このずれは減らなかったと書いています。出発点がちがうと、答えがそちらへ寄る。 2人はこの現象を「アンカリング」と名付けました。

数を見せなくても起きます。同じ論文に、高校生に「8×7×6×5×4×3×2×1」の答えを5秒で見積もってもらう実験があります。別の組には、同じ式を逆から「1×2×3×4×5×6×7×8」と書いて見せる。中身は同じなのに、答えの中央値は、8から始まる式で2,250、1から始まる式で512でした。最初の2つ3つをかけたところで出てきた数が出発点になり、そこから伸ばしたぶんが足りない。ちなみに正しい答えは40,320で、どちらの組もはるかに下です。

02なぜ、関係の無い数に引っぱられるのか

無関係だと分かっている数に答えが寄るのは、不思議に見えます。説明は1つではありませんが、確かめられていることを3つに分けます。

  1. 出発点から直していって、途中で止まる

    トベルスキーとカーネマンの説明です。人は答えをゼロから考えず、手元にある数から上か下へ動かして答えに近づく。そして動かす量が、たいてい足りない。10から出発した人は、「もっと多いはず」と上げていっても、上げきる前に「このくらいかな」で止まる。65から出発した人は、下げきる前に止まる。かけ算の実験で、どちらの組も正解の40,320に遠く届かなかったのも、同じ説明で読めます。

  2. 「その数が答えだとしたら」を、頭が勝手に調べ始める

    もう1つの説明は、出発点の数を「答えの候補」として頭が確かめにいく、というものです。「シカゴの人口は500万人より多いか」と聞かれた人は、高層ビルの多さや、そこで働く人の数を思い浮かべる。その思い浮かべたものが、次に「何人か」と聞かれたときに真っ先に出てきて、答えを押し上げる。関係の無い数でも、「上か下か」を考えた時点で、その数に合う材料が集まってしまうわけです。

  3. 専門家にも効く。そして本人は「使っていない」と言う

    1987年、アリゾナ州ツーソンで、不動産業者47人と学生54人が、実際に売りに出ている家を見て回り、10ページの資料を読んでから査定しました。資料は全員同じで、売り主の希望価格だけが4通り(11万9,900ドルから14万9,900ドル)に変えてあります。業者の査定の平均は、いちばん低い希望価格を見た組で11万4,204ドル、いちばん高い組で12万8,754ドル。実際の希望価格が13万4,900ドルの家です。そのあと「何を考えに入れたか」を聞くと、希望価格を挙げた業者は19%だけで、論文は、業者たちの記述は希望価格を使ったことをきっぱり否定していた、と書いています。学生は37%が挙げました。効き目は同じくらいで、気づいていないのは専門家のほうでした。

この効き目そのものは、何度も確かめ直されています。2014年に36か所の研究者が6,344人で13の有名な効果を同時に追試したとき、アンカリングは全体でしっかり再現され、しかも13の中でいちばん大きい部類の効果でした。元の研究のほうが控えめに見積もっていたくらいです。ただし、どんな数でも効くわけではありません。そこは最後の「次に気になりそうなこと」に書きました。

03身のまわりのアンカリング

実験の外では、ルーレットの役を、値札や店の札や、相手の一言がやっています。

取り消し線の定価「9,800円」に線が引かれて、横に「3,980円」。手に取る品は3,980円の品で、9,800円だった時間がどれだけあったかは分かりません。それでも、消された数が先に目に入ると、そこが出発点になって、3,980円は「安くなった数」として読まれます。不動産の実験で、資料の中の希望価格1つが業者の査定を動かしたのと同じで、線が引いてあっても、数は数として効きます。
「お一人様3点まで」1個あれば足りるのに、この札を見ると2個、3個とかごに入る。「3」が出発点になって、そこから減らしていくからです。減らす量はたいてい足りず、1個まで戻りきらない。ルーレットの65から下げきれなかった人と、やっていることは同じです。札の数は店が決めた数で、あなたに要る数ではありません。
先に出てきた希望年収「ご希望は?」と聞かれて、自分の数が無いまま、相手が先に数を言う。その瞬間から、話はその数の上下で進みます。自分の中に数が無いと、相手の数が出発点になる。不動産の業者と同じで、「影響されていない」と思いながら、その数から少し動かしたところに落ち着きます。

場面ごとに見ると、こんなところに出てきます。

  • お金・買い物では

    取り消し線の定価、「参考価格」、「お一人様3点まで」。店の数は、店が置いた出発点です。自分の数を先に持つのがいちばん効きます。「この機能に、いくらなら払うか」を見る前に決めておく。決めてから値札を見て、値札のほうが安ければ買う。消された数は、計算に入れなくていい。

  • 仕事では

    見積もり、納期、年収。先に出た数の上下で話が進むのは、相手が悪いのではなく、聞いた側の頭がそう動くからです。「ご希望は?」と聞かれる前に、根拠つきの自分の数を1つ用意しておく。相手が先に言ったときは、その数が妥当かどうかではなく、「その数はどこから来たか」を聞く。出どころが分かれば、錨は少し軽くなります。

04振り回されないためのコツ

  1. 数を見る前に、自分の数を書く

    紙でもスマホのメモでもいい。見る前に書いた数は、見たあとの数に上書きされにくい。書いていない数は、見た瞬間に消えて、見た数が出発点になります。実験でも、ゼロから考えた人はいませんでした。出発点は、自分で置くしかない。

  2. 出てきた数を「妥当か」で考えない。「どこから来たか」を聞く

    相手の数が妥当かどうかを考え始めた時点で、その数を軸に上下を測っています。それが錨の働き方そのもの。代わりに「なぜその数か」を聞く。希望価格なら、何平米でいくらの計算か。年収なら、何を基準にした数か。出どころの無い数は、ルーレットの数と同じです。

  3. 部品から組み立て直す

    不動産の実験で、業者たちが「正しいやり方」と言っていたのは、近所で売れた家と比べて、面積×単価で計算する方法でした。希望価格から引き算するのではなく、部品から足し算する。買い物なら「この機能にいくら、この大きさにいくら」。年収なら「この仕事の相場にいくら、この経験にいくら」。足し上げた数が、自分の数になります。

とはいえ、出発点から動かして答えを出すのは、ゼロから考えるよりずっと速い、まともな方法です。だからなくせませんし、なくす必要もありません。知っておくことは1つ。最初に見た数は、自分が選んだ数ではない。それを思い出せたら、値札の消された数も、相手が先に言った年収も、ただの出発点に戻ります。

05もっと知りたくなったら

なかまの効果

次に気になりそうなこと

どうして「アンカリング(錨)」という名前?
英語の anchor は船の錨。1974年の論文は、出発点がちがうと答えがそちらへ寄る、「この現象をアンカリングと呼ぶ」と書いているだけで、言葉の由来までは説明していません。錨を下ろした船が、鎖の長さより遠くへ行けないように、出発点から動かせる距離に限りがある、という見立てで読むと分かりやすいです。
専門家なら、引っかからない?
引っかかります。不動産の実験では、業者も学生も、希望価格に合わせて査定が動きました。業者は「希望価格と査定の差が5%を超えたら、業者ならおかしいと気づく」と言っていましたが、11%ずれた希望価格にもはっきり引っぱられています。ちがったのは、学生のほうが「希望価格を考えに入れた」と認めたこと(37%対19%)。論文は、専門家は気づいていないのか、認めたくないだけなのか、分からないと書いています。
本当に、何度やっても出る効果?
出ます。2014年に36か所の研究者が同じ手順で13の効果を追試したとき(6,344人)、アンカリングは全体で元の向きに出て、効き目の大きさも13の中でいちばん大きい部類でした。使ったのは「サンフランシスコからニューヨークまでの距離」「シカゴの人口」「エベレストの高さ」「アメリカで1日に生まれる赤ちゃんの数」の4問で、先に明らかに大きすぎる数か小さすぎる数を見せてから答えてもらう形です。13のうち2つの効果は再現されませんでしたが、アンカリングは逆に、元の研究のほうが小さく見積もっていました。
商品名の「97」のような、たまたま目に入った数でも効く?
ここは揺れています。2008年の研究は、スマホの名前が「P97」だと「P17」より、アメリカでの売上の割合が高く見積もられる、と報告しました(207人、差は約6ポイント)。ところが2018年に6,826人で追試すると、差は1ポイント足らずで、ゼロと区別がつきませんでした。2020年の別の論文も、たまたま目に入る数を使った3つの実験で値段の見積もりは動かず、同じ論文の中で「その数より上か下か」を先に聞く元の形を試すと、はっきり効いています。いまのところ、効くのは「上か下か」を一度考えさせられたときで、ただ目に入っただけの数は怪しい、というのが正直なところです。

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