なんで転送装置の向こうに現れたのが「自分」だと言えるの?
その正体は、
転送装置の問題
てんそうそうち の もんだい/Teletransporter
体を読み取って、遠くで同じに組み立てる装置。向こうで出てきた人は、あなたか。
夜に眠って、朝に起きる。昨日の自分と今日の自分が同じ人だと、だれも疑いません。でも、その「同じ」の根拠を聞かれると、意外と答えに詰まります。体が同じだからか、覚えているからか。イギリスの哲学者パーフィットは、SFの転送装置を使って、この問いをぐっと鋭くしました。
- 話の形
- 体を読み取って情報を火星へ送り、向こうで同じ体を組み立てる。出てきた人は、出発した人と同じ人か
- 考えた人
- イギリスの哲学者デレク・パーフィット『理由と人格』(1984年)。装置が地球の体も残してしまう「枝分かれ」の続きも書いた
- ずっと前の種
- 17世紀のロック『人間知性論』。第2版(1694年)で「同一性」の章を足し、覚えている(意識が届く)ところまでが同じ人だ、という考えを書いた
- 哲学者の答え
- 2009年、英語圏を中心に大学の哲学の先生931人に聞いた調査で、「生き続ける」寄り36%、「そこで終わる」寄り31%、どちらとも言えない33%
- 揺れている所
- 答えは1つに決まっていない。いまの哲学事典でも、体で見る説・心のつながりで見る説などが並んだまま
01火星へ「送られた」人と、地球に残った人
パーフィットの話は、「わたし」が転送装置に入るところから始まります。宇宙船なら何週間もかかる火星へ、数分で行ける装置です。行き先で目を開けた人は、出発した人と同じ人なのか。そこまでなら「同じ」と答える人も多いのですが、パーフィットは、そのあとに意地の悪い続きを用意していました。
1パーフィット『理由と人格』(1984年)。「わたし」は地球の転送装置に入る。装置は体の細胞1つ1つのようすを、全部読み取る。読み取りといっしょに、地球の体はなくなる仕組みになっている
2読み取った情報は電波で火星へ。光の速さで3分で、火星の装置に届く。火星の装置は、届いた情報のとおりに、新しい材料で同じ脳と体を組み立てる
3本人の感じ方では、一瞬意識が途切れて、すぐ別の小部屋で目が覚めるだけ。体を見ても、どこも変わっていない。「もう着いた?」
4パーフィットの続き。新しい装置は、地球の体を残したまま読み取る。ところが装置の影響で、地球のほうは数日しかもたないと告げられる。画面の向こうには、火星で元気に話す、もう1人の自分
最初の話だけなら、「火星で目を開けたのは自分だ」と考えても、あまり困りません。ところが続きの話では、地球にも火星にも「わたし」がいます。地球の「わたし」は、「ここにいるなら、火星にいるはずがない」と言いたくなる。同じ情報から組み立てたのに、どちらか片方だけが本物、と言える理由は何なのか。ここで多くの人の答えが揺れます。
02なぜ答えが割れるのか
「同じ人か」と聞かれたとき、頭の中で使っている物差しは、だいたい3つに分けられます。ふだんは3つとも同じ答えを出すので、区別する必要がありません。
体で見る
同じ体、同じ1つの生き物として続いているか。この物差しなら、火星で組み立てられた人は、そっくりでも別の人です。いまの哲学事典でも、生き物としての体で考える説は大きな柱の1つ。体が途切れずに続いていることを、「同じ」の根拠にする見方です。
覚えていることで見る
17世紀のロックは、覚えている(意識が届く)ところまでが同じ人だ、と書きました。王子の意識が靴屋の体に入ったら、本人は王子と同じ人で、王子のしたことの責任を負う。でも、まわりから見れば同じ靴屋だ、とも。この物差しなら、火星の人は記憶を全部持っているので、本人です。
心のつながりで見る
記憶だけでなく、性格や、やろうとしていたことが、少しずつ重なりながら続いているか。哲学事典によると、哲学の授業では、まずこの見方に引かれる人が多いそうです。ただ、続きの話のようにつながった人が2人できると、両方とも本人になってしまう。そこで、「ほかに続いている人がいないときだけ同じ人」と条件を足す説もあります。
パーフィット自身の答えは変わっていました。哲学事典によると、彼は「同じ人かどうか」は、それ自体はたいして大事ではない、と論じました。大事なのは、記憶や性格や思いがどれだけつながっているか。同じ1人ぶんかどうかは、そのあとで付ける名前のようなもの、という考えです。賛成する人も、反対する人もいて、決着はついていません。
哲学者のあいだでも割れています。2009年、英語圏を中心とした99の大学の哲学の先生に聞いた調査(931人が回答)では、転送装置で「生き続ける」寄りが36%、「そこで終わる」寄りが31%、どちらとも言えないなどが33%でした。考えるのが仕事の人たちでも、ほぼ3つに分かれる問いです。
03身のまわりの転送装置
装置は空想ですが、「何が続いていれば同じ自分か」という問いは、毎日の中にもあります。
場面ごとに見ると、こんなところに出てきます。
家族では
親が「あなたは小さいころ、こうだった」と話すけれど、自分はまったく覚えていない。親にとっては同じ子で、自分にとっては知らない子の話。親は体の続きを、自分は記憶を見ているのかもしれません。どちらも間違いではありません。
友達では
久しぶりに会った友達に「変わったね」と言われて、少し引っかかる。変わったのは好みや話し方で、つながりが切れたわけではありません。「変わった」と「別人になった」は別のこと、と分けておくと、言われても気になりにくくなります。
ケンカしたときでは
ずっと前に言ったことを持ち出されて、「あのときの自分と、いまの自分は違う」と言いたくなる。心のつながりで見るなら、つながりは時間とともに薄くなっていきます。ただ、約束や謝るべきことまで消えるわけではない。昔の自分を切り離すより、どこまでつながっているかを言葉にするほうが、話が進みます。
04「同じ自分?」で迷わないコツ
何で「同じ」と言っているかを分ける
体なのか、覚えていることなのか、性格や大事にしていることなのか。3つに分けて考えると、「同じ」「違う」で言い合いになっていた理由が、たいてい見えてきます。
つながりには、濃い・薄いがある
昨日の自分とはほとんど同じで、10年前の自分とは少し遠い。心のつながりで見ると、つながりはあるか無いかではなく、濃くなったり薄くなったりするものとして見ると、昔の自分や変わっていく自分を、少し気楽に受け止められます。
答えを1つに決めなくていい
哲学者の調査でも、答えはほぼ3つに割れました。日々の暮らしでは、決めなくても困らないことがほとんどです。困ったときだけ、「いまは体の話? 記憶の話?」と、物差しを1本選べば十分です。
転送装置の問題が教えてくれるのは、正解よりも、自分がふだん何を「自分」と呼んでいるかです。体も記憶も少しずつ変わっていくのに、それでも「自分」と言えるなら、大事にしているのは、その続き方そのものなのかもしれません。
05もっと知りたくなったら
なかまの効果
次に気になりそうなこと
結局、火星で目を開けた人は本人?
地球と火星に2人いたら、どちらが本物?
ロックの「王子と靴屋」って、どんな話?
物の場合は、どう考える?
同じ棚の本
学びの棚で、この本の前と次に並んでいる2冊。