なんで板を全部替えた船を、まだ「同じ船」と呼べるの?
その正体は、
テセウスの船
てせうす の ふね/Ship of Theseus
古い板を1枚ずつ新しくして、元の板が1枚も残らなくなった船は、まだ同じ船か。
うなぎ屋の「創業以来、継ぎ足しのタレ」。何十年も継ぎ足してきたなら、最初に仕込んだタレはもうほとんど残っていないはずです。それでも、だれも「看板に偽りあり」とは言いません。中身が入れ替わっても同じもの。この感覚を、人は2000年近く前から、1隻の船で考えてきました。英雄テセウスの船です。
- 話の形
- 傷んだ板を1枚ずつ新しい板に替えていき、元の板が1枚も残らなくなった船は、まだ同じ船か
- 書き残した人
- 1〜2世紀ごろのギリシャの著述家プルタルコス『テセウス伝』。アテネの人々が残していた船で、哲学者たちの意見は「同じ船」と「別の船」に割れた、と書く
- 意地の悪い続き
- 17世紀のイギリスの哲学者ホッブズ『物体論』。外した古い板を取っておいて組み直したら、どちらが本物か
- よく出る場所
- 継ぎ足しのタレ・20年ごとに建て替える神社・部品を替え続けた自転車
- 揺れている所
- 答えは1つに決まっていない。いまの哲学事典でも、候補の答えがいくつも並んだまま
011枚ずつ替えた船と、古い板で組み直した船
プルタルコスによると、英雄テセウスが若者たちを連れて無事に帰ってきた30本櫂の船を、アテネの人々は記念に残していました。木は傷むので、古い板を外しては新しい丈夫な板を入れる。それを続けるうちに、この船は哲学者たちの議論の種になります。全部の板が替わっても、同じ船と言えるのか。ずっとあとになって、ホッブズがもっと意地の悪い続きを足しました。
1プルタルコス『テセウス伝』。アテネの人々は、この船をファレロンのデメトリオスの時代まで残していた。傷んだ板を外して、新しい丈夫な板を入れながら
2やがて元の板は1枚も残らない。この船は「育つもの」をめぐる議論の例になり、哲学者たちは「同じ船だ」「いや、別の船だ」と割れた
317世紀のホッブズ『物体論』の続き。もし誰かが、外した古い板を全部とっておいて、同じ順番に組み直し、もう1隻作ったら
4ホッブズは書く。組み直した船も、疑いなく最初と同じ船だ。すると同じ船が2隻あることになり、それはおかしい。では、テセウスの船はどちらか
ホッブズがこの船を持ち出したのは、「同じもの」をどう決めるかの考え方を比べるためでした。材料で決めるか、形で決めるか、性質の全部で決めるか。どれか1つだけで決めると、どこかでおかしなことが起きる、と彼は書きます。答えが割れるのは、だれかの考えが足りないからではありません。「同じ」という一言の中に、ふだん分けて使っていない物差しが何本も入っているからです。
02なぜ答えが割れるのか
「同じ船か」と聞かれたとき、頭の中で使っている物差しは、だいたい3つに分けられます。ふだんは3つが同じ答えを出すので、区別する必要がありません。
材料で見る
その物を作っている板そのものが残っているか。この物差しなら、古い板で組み直した船が本物です。ホッブズも、名前が材料を指しているなら「材料が同じなら同じ」と書き、海の水は雲になっても同じ水だ、という例を挙げています。「当時のままの部品」に価値を感じるのは、この見方です。
形と役目で見る
同じ形をしていて、同じように使われているか。この物差しなら、港に浮かんで船の役目を果たしてきたほうが本物です。ただ、形だけで決めると、組み直した船も同じ形なので、どちらも本物になってしまう。ホッブズの「2隻」は、ここで起きます。
途切れずに続いてきたことで見る
同じ名前で呼ばれ、少しずつ直されながら続いてきたか。ホッブズは、同じ泉から流れ出る川は、流れる水が入れ替わっても同じ川、同じ決まりのもとで動く町は、住む人が替わっても同じ町だ、と書きます。少しずつ変わり、途切れていないことを「同じ」の根拠にする見方です。
ホッブズ自身の答えは、「同じかどうかは、その物を何という名前で呼んで聞いているかで決まる」でした。「同じ木材か」と聞くなら材料の物差し、「同じ川か」「同じ町か」と聞くなら続いてきたことの物差し。いまの哲学事典でも、この船の答えはいくつも候補が並び、1つには決まっていません。
03身のまわりのテセウスの船
板を、タレや建物や自転車の部品に替えると、同じ形が身のまわりにいくつも見つかります。
場面ごとに見ると、こんなところに出てきます。
家族では
実家を建て替えた。いつもの料理を、別の人が作るようになった。「もう前の家(味)じゃない」と言う人と、「同じだよ」と言う人がいる。どちらかが冷たいのではなく、片方は材料を、片方は続いてきたことを見ているのかもしれません。
お金・買い物では
自分で直しながら使ってきたギターや時計は、自分にとっては同じ愛用品。でも中古で売ろうとすると、「元の部品のままか」を聞かれることがあります。売り買いの場では、材料の物差しで見られやすい。どちらの物差しの話かを分けておくと、がっかりが減ります。
学校では
部活の「伝統」。部員は数年で全員入れ替わるのに、同じ部として大会に出て、記録も受け継がれます。ホッブズの「住む人が替わっても同じ町」と同じ形です。「昔の部はこうだった」とぶつかったら、続いているのは名前か、やり方か、人か、を分けてみると話がしやすくなります。
04「同じ?」で言い合いにならないコツ
何の名前で聞いているかを、先にそろえる
ホッブズのやり方です。「同じ木材か」「同じ船か」「同じ店か」。何について聞いているのかをはっきりさせると、答えが割れていた理由がたいてい見えてきます。
物差しを3本並べて言う
「材料は変わったけど、形と、続いてきたことは同じ」のように、3本に分けて言えば、「同じ」「違う」の言い合いになりにくくなります。3本とも、それぞれの意味では正しいからです。
「本物」を1つに決めなくていいときもある
この問題は、哲学の事典でもまだ答えが1つに決まっていません。日々の場面では、決める必要がないことも多い。タレも神社も自転車も、みんなが「同じ」と呼んで困っていないなら、その呼び方自体が、その物の続き方です。
テセウスの船が教えてくれるのは、正解よりも、自分がふだん何を「同じ」と呼んでいるかです。材料が全部替わっても同じだと言えるなら、大事にしているのは、材料ではない何かです。
05もっと知りたくなったら
なかまの効果
次に気になりそうなこと
結局、どちらが本物のテセウスの船?
テセウスの船は、そのあとどうなった?
式年遷宮は、なぜ20年ごと?
人の体も入れ替わるなら、自分も「別の人」?
同じ棚の本
学びの棚で、この本の前と次に並んでいる2冊。