なんで安いと分かっていても、乗り換えないの?

その正体は、

現状維持バイアス

げんじょう いじ バイアス/Status quo bias

いまのままは、ほかのどれよりも選ばれやすい。中身は同じでも、「いまはこれ」と書き添えただけで。

もっと安い料金プランがあることは知っている。比べたこともある。それでも、今月もそのまま。1988年、アメリカの486人の学生に「大おじから遺産を受け取った。どう運用する?」と聞いた実験が、この「そのまま」の正体を確かめました。同じ4つの運用先でも、「いまはこれで運用されている」と書き添えた1つが、選ばれやすくなったのです。

確かめた人
ウィリアム・サミュエルソン(ボストン大学)とリチャード・ゼックハウザー(ハーバード大学)。1988年。2つの大学の経済学の授業で、486人の学生に質問紙で聞いた
実験の中身
同じ4つの運用先を、ただ並べた紙と、そのうち1つを「いまの状態」として書いた紙を配る。乗り換えの手数料や税金はほとんどかからない、と断ってある。税金のかからない地方債は、並べただけなら32%、いまの状態なら47%が選んだ
言葉の意味
status quo は「いまの状態」。論文は、何もしないこと、またはいま(前に)決めたことを続けることを「現状」の選択肢と呼び、ほとんどの決定にはこれがある、と書いている
よく出る場所
スマホの料金プラン・いつもの注文・「とりあえず今のまま」の会議
揺れている所
2021年にアメリカの627人で追試すると、4つの場面のうち3つで同じ形が出たが、注文していた車の色を選ぶ場面では出なかった。強さは場面で変わる

01「いまはこれ」と書いただけで、選ぶ人が増えた

サミュエルソンとゼックハウザーは、ボストン大学とハーバード大学の経済学の授業で、486人の学生に質問紙を配りました。その中の1問はこうです。「経済欄はよく読むが、これまで投資するお金がほとんどなかった。そこへ大おじから多額の遺産が入った」。運用先は4つ。ほどほどのリスクの株、値動きの大きい株、ほぼ確実に9%増える国の短期の債券、税金のかからない6%の地方債です。紙は2通りありました。4つをただ並べた紙と、「遺産の大部分は、いまはこの株に入っている。そのままにするか、替えるか」と、1つを「いまの状態」として書いた紙です。

サミュエルソンとゼックハウザーの実験
  1. 1大おじから遺産が入った、と想像してもらう。運用先は4つ。ほどほどの株・値動きの大きい株・国の短期の債券・税金のかからない地方債

  2. 2紙は2通り。4つをただ並べた紙と、1つに「いまはこれで運用中」と書いた紙。替えても、税金や手数料はほとんどかからない、と断ってある

  3. 3地方債を選んだ人は、ただ並べた紙で32%。「いまはこれ」と書いた紙では47%。ほかの1つが「いま」だった紙では21%

  4. 4本当の選択でも同じ形だった。ハーバード大学の職員の健康保険で、昔からある保険を選んでいた人は、前からいる職員のほうが、新しく入った職員の2〜4倍多かった(年齢をそろえて比べても)

中身はまったく同じ4つです。違うのは、どれが「いま」かだけ。それでも地方債は、ただ並べた紙で32%、「いまはこれ」と書いた紙で47%、ほかの1つが「いま」だった紙で21%と、「いま」の札が付いたものほど選ばれました。地方債だけではありません。4つから選ぶ問いの24の選択肢のうち17で、「いま」のとき → ただ並べたとき → ほかが「いま」のとき、の順に選ぶ人が減っていました。

研究者は、実験の外でも確かめています。ハーバード大学の職員の健康保険では、1980年に6割が入っていた昔からの保険を、1985〜86年に入った新しい職員はあまり選ばず、1979年以前からいる職員は選び続けていました。毎年乗り換えられるのに、実際に乗り換えるのは1年に3%ほど。全米の大学教員の年金では、株と債券の配分を毎年ただで変えられるのに、一度でも変えたことがある人は28%でした。

02なぜ、いまのままを選ぶのか

乗り換えに手間やお金がかかるなら、そのままを選ぶのは筋が通っています。でも実験の紙では、手数料も税金もほとんどかからない、と先に断ってありました。それでも差が出た。論文はほかの説明も挙げています。3つに分けます。

  1. 「いま」が基準になり、替えると失うものが目に入る

    人は同じ大きさでも、得るものより失うもののほうを重く感じます(損失回避)。「いま」の札が付くと、それが基準の点(ここがゼロ)になる。すると、ほかへ替えることは「いまの良いところを失う」話になり、得るものより重く見えます。札の無い紙では4つが同じ高さに並んでいたのに、札を付けた途端、1つだけが足もとの地面になるのです。

  2. 動いて外れると、動かずに外れるより悔やむ

    論文の注に、こんな例があります。あなたは持っているA社の株を、そのまま持ち続けた。隣の人はB社の株を売って、A社の株に替えた。半年後、どちらのA社の株も1,000ドルから700ドルに下がった。損は同じなのに、悔やむのはたいてい替えた人のほうです。動いた結果の失敗は「余計なことをした」になり、動かなかった結果の失敗は「仕方なかった」になる。だから、迷うと動かないほうへ寄ります。

  3. 「前の自分は、ちゃんと考えたはず」と思う

    一度決めたことを考え直すのは、それ自体が手間です。そこで、前に選んだのだから理由があったはず、とそのままにする。ところが、先ほどの年金の調査では、最初の配分を「調べて決めた」と感じている人は3人に1人で、4人に1人は「当てずっぽう」でした。変えた人の多くには理由があったのに、変えない理由を持つ人はほとんどいなかった。論文はサミュエル・ジョンソンの言葉を引いて、何もしないと「決める」のはたやすい、と書いています。

実験のあとの話し合いで、学生たちはこの偏りがあることに驚きました。全体の傾向には納得したのに、自分がそうなるとは思っていなかった、と論文は書いています。2021年に、アメリカの627人で元の4つの問いを試し直した追試では、予算の配分・投資・大学の職の3つで同じ形がはっきり出ました。ただ、注文していた車の色を選ぶ場面では出ませんでした。効き目はあるが、強さは場面で変わる。そういう落ち着きどころです。

03身のまわりの現状維持バイアス

実験の外では、「いまはこれで運用中」の札を、毎月の請求書や、いつもの店や、前回の資料が付けています。

スマホの料金プラン安いプランがあるのは知っている。比べた表も見た。それでも「そのうち」のまま、何か月も過ぎる。比べる表の上で、いまのプランにだけ「いまはこれ」の札が付いているからです。替えて電波が悪かったら、という心配は大きく見え、毎月の差額は小さく見える。実験の学生と同じで、そのままを選んでいる自覚はほとんどありません。
いつもの注文論文には、26年間、仕事の日の昼に毎日同じハムとチーズのサンドイッチを頼んでいた同僚が出てきます。ある木曜日にチキンサラダに替え、その日からは毎日チキンサラダ。メニューは何十もあるのに、選んでいるのは毎回「いつもの」1つだけ。新しいものを頼んで外れたら「余計なことをした」と思う。いつものが普通だった安心より、その痛みのほうが大きく感じられます。
「とりあえず今のまま」の会議新しい案には、なぜ変えるのか、うまくいくのか、と理由がいくつも求められます。一方で「今のまま」には、誰も理由を聞きません。変える側にだけ説明の責任があり、変えない側には無い。そうして、決めきれない会議は「とりあえず今のまま」で終わる。年金の調査で、変えた人には理由があり、変えない人にはほとんど無かったのと同じ形です。

場面ごとに見ると、こんなところに出てきます。

  • お金・買い物では

    料金プラン、電気やガスの契約、保険、銀行の口座。どれも乗り換えられるのに、手続きの面倒と「替えて失敗したら」が、毎月の差額より重く見えます。比べるときは、いまのものの名前を伏せて並べる。「いまはこれ」の札を外すと、ただの選択肢の1つに戻ります。差額は月ではなく1年に直すと、動かない損も目に入ります。

  • 仕事では

    いつもの手順、前回と同じ資料の型、何年も変えていない取引先。会議で新しい案が出ると、変える理由ばかりが問われ、そのままにする理由は問われません。提案するときは、「今のままにする」にも理由を1つ言ってもらうと、2つの案が同じ土俵に乗ります。反対されても、それは中身ではなく、「いま」の札のせいかもしれません。

04振り回されないためのコツ

  1. 比べるときは、「いま」の札を外す

    実験で選ばれ方を変えたのは、「いまはこれ」の一言だけでした。だから比べるときは、いま使っているものの名前を伏せて、ほかと同じ形で並べる。論文も、年金の見通しを出すときにいまの配分がどれかを示さなければ、偏りはかなり減るのでは、と書いています。札を外して選んでも同じものなら、それは本当に選んだものです。

  2. 「替えない」にも、理由を1つ言う

    替えるときには理由を考えるのに、替えないときには考えない。年金の調査では、変えない理由を持つ人はほとんどいませんでした。続けているものに「替えない理由」を1つ言ってみる。言えれば、それは惰性ではなく判断です。言えなければ、そこが見直しどころ。会議なら、「今のまま」の案にも同じ質問をします。

  3. 動かない損も、後悔の側に乗せる

    替えて外れたときの後悔は大きく見え、替えずに損し続けた分の後悔は小さく見えます。そこで、動かない損を数字にする。月の差額を1年分、3年分に直して、替えて外れたときの損と並べる。替えて失敗する怖さは「1回」ですが、替えない損は毎月たまっていきます。

とはいえ、いまのままを選ぶこと自体は、悪いことではありません。論文も、乗り換えの手間や先の分からなさがあるときに、そのままを選ぶのは筋が通る、と認めています。毎回すべてを選び直していたら、身がもちません。知っておくことは1つ。「いまそうなっている」は、選ぶ理由のひとつにすぎない。札を外して並べ直すと、そのままでいいものと、動いていいものが、ちゃんと分かれて見えます。

05もっと知りたくなったら

なかまの効果

次に気になりそうなこと

デフォルト効果とは、何が違うの?
似ていますが、場面が違います。デフォルト効果は、何もしなかったときに自動でそうなる設定の話です(最初から入っている印など)。現状維持バイアスは、自分で選び直す場面に立っているのに、いまの状態を選び続ける話です。実験の学生は、4つの運用先から「どれにするか」をはっきり選ばされていました。何もしないで済む形ではありません。それでも「いま」の札が付いたものが選ばれた。根っこ(失うものを重く見る、など)は共通していて、どちらも「いま」から動きにくい、という同じ家族に入ります。デフォルト効果を読む →
いまのままを選ぶのは、損なの?
いつも損とは限りません。論文自身が、乗り換えにお金や手間がかかるとき、替えた先がどうなるか分からないとき、考え直すこと自体が重いときには、そのままを選ぶのは筋が通る、と書いています。毎年同じ休暇先に行く家族や、同じ車種を買い続ける人も、外れが少ないからかもしれません。問題になるのは、手間もお金もほとんどかからず、替えたほうが良いと分かっているのに動かないときです。実験の紙は、わざわざその形にしてありました。
本当に、何度やっても出る効果?
2021年に、アメリカの311人と316人で、元の論文の4つの問いをそのまま試し直した追試があります(事前に計画を登録した形)。安全の予算の配分・投資・大学の職の3つでは、「いま」の札が付いた選択肢がはっきり選ばれやすく、元の結果が再現されました。ところが、注文していた車の色を選ぶ場面だけは、ほとんど差が出ませんでした。追試の研究者は、色を替えるのは販売店に一言伝えるだけで、替えた先の結果もはっきりしているからでは、と考えています。効き目はあるが、強さは場面で変わる、というのがいまの見立てです。
選挙で現職が強いのも、これ?
論文は、たとえ話として選挙を挙げています。実験の数字を当てはめると、何もなければ五分五分の2人の候補でも、片方が現職だと59%対41%で勝つ計算になる、と。ただし論文自身が、これはたとえで、実験の結果が実際の選挙を説明すると言っているのではない、と断っています。現職の強さには、名前が知られている、実績を示せる、などほかの理由もたくさんあるからです。

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